冬の日のお話




深夜になっても蛍光灯が煌々と輝く職場の廊下を、上越はひとり歩いていた。
凝り固まった首を回すと、静かな廊下にゴキ、と鈍い音がわずかに反響した。他に誰もいないから咎める者もいない。
最終列車を見送ったのは、つい先程のことだ。今日の業務はこれで終わり、あとは宿舎に戻るだけだ。
その前に飲み物でも買っていこうかと思い付いて、上越は休憩室の隣にある自販機のコーナーへ向かうと、そこには既に先客がいた。けれど上越が来たことにも気付かない。寝ているからだ。

「……高崎」

呆れてため息とともに呟いても、高崎は微動だにしなかった。
自販機のそばには、一服するためにソファーがいくつか置いてある。そのひとつに座って、高崎は器用にもそのまま熟睡していた。新幹線の最終は在来線のそれよりは早く終わるとはいえ、それなりに遅い時間だ。なので人通りも少なく、上越が来るまで誰にも起こされることもなかったのだろう。一体いつからここにいるんだ。

「高崎、起きなよ」

仮眠室ならともかく、こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまう。肩を掴んで揺すぶっても、高崎はむにゃむにゃと言葉にならない単語を唸ったものの起きる気配はない。

「高崎ってば。君、今日はもう終わりだろう。帰ってちゃんと寝なよ」
「んー……うん」

多分わかっていない。

「しょうがないなぁ……」

このまま放置してしまってもいいが、それで風邪でも引かれて業務に支障をきたしたら後で迷惑を被るのは上越だ。考えあぐねていると、不意に高崎がぱちりと目を覚ました。けれどまだ完全に起きてはいないのだろう、視点が定まっていなかった。

「おはよ」

改めて声を掛けると高崎は緩慢な動きで視線を巡らせ、上越の姿を見つけてぼんやりと見つめた。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、「あー」と呟く。

「上越上官だぁ」
「帰るよ。立てる?」
「あーい」

言われて高崎はすっくと立ち上がったが、まだ頭ががふらふら揺れていた。
ここまで無防備だと、嫌味を言う気も殺がれてしまう。上越は苦笑して高崎の手を引いた。そのまま歩き出すと、高崎は素直に付いてきた。宿舎にまで連れて帰らないと、朝までここで寝ていそうだ。眠気のせいか、繋いだ手はいつもより体温が高い気がする。

「上官〜ありがとうございますう」

呂律の回っていない、高崎の声。まさかとは思うけれど、酔ってるんじゃないだろうか。でもアルコール臭はしないからすぐに寝ぼけてるだけだと思い直す。

「ほんとだよ、感謝しなよ。あんなとこで朝まで寝てたら凍死しちゃう」
「そうではなく〜」

じゃあなんの話だ。上越は黙ることで先を促した。

「雪、降ってたんすよ」

そう高崎は言うが、今日は都内はおろか群馬南部でも雪は降っていなかった。多分夢でも見ていて、その話をしているんだろう。

「一面真っ白でホームにもめっちゃ積もってて、車輪は滑るしレールは軋むし、俺も周りもみんな遅延してるし。その上人身と信号故障までやっちゃって」

聞くだに悲惨だ。

「そんで気付いたら俺ホームで雪に埋もれちゃうし、テンパってんのに身動き取れないから泣きそうだったんですけど、そしたら上越上官が掘り出してくれて」

雪からか。確かに雪掻きは得意だけれど。

「俺の顔見て頭撫でてくれて、大丈夫だよって言ってくれたんです。それで俺、ああもう大丈夫なんだぁって嬉しくなっちゃって。だから、ありがとうございました」
「……なんだ、そんなこと」

ふにゃ、と高崎の顔が緩む。上越はまともに見ていられなくて、ふいと目を逸らした。

「そんなことじゃないです! 俺ほんとに嬉しかったんですから!」
「わかった、わかったから夜に大声出さないの」
「すみません……」

しゅん、と高崎の声が萎む。
高崎の話は夢らしく、わけのわからないものだった。なのにそんな夢の中でも頼りにしてくれていて、それのなんと心地良いことか。

「……高崎はずるいと思う」
「えっ、俺またなんか失礼なことしましたか!」
「してない。だからずるいんだ」

なんとなく悔しいから、本当のことは言ってやらない。
繋いだ手が温かい。空気が冷たいから、余計に感じる。
冬が終わる日まで、そう遠くない。




2012.2.28
1月シティでのペーパーSSでした